友人Fさんのひとこと
2006 年3月31日
皆様には、親友がいらっしゃいますか?
私の親友は、10年前ガンに侵されて旅立ってしまいました。
私が高校1年の夏休み。彼女と初めて話した日のことを覚えています。
私の通った高校は1年生は4クラスで彼女が3組、私は4組でした。私は、誰かに誘われて3組に入っていって、他の学生と一緒にいた彼女と話したのです。
私たちは選択外国語(フランス語)のクラスで一緒でした。
小学生位の小柄な体で、誰とでも仲良く話す。大人っぽい個性的な女の子でした。
平塚から通っていて、朝6時ごろ家を出ていること、家は地主さんなのか庭に大きな灯篭のある旧家で、お母さんが元校長先生で、話している内容が私の母とは全然違うこと、お父さんは幼いころに病死されたこと、お兄さんがオートバイの事故でなくなったこと、大人のお兄さんが居ること、妹が居ること、彼女の環境は、何もかも私にはびっくりすることばかりでした。
私たちは映画「Twins」の二人のような身長差でいつも一緒でした。
彼女が志望していた大学に、私もあこがれ、夢や毎日のことを飽くことなく話していたように思います。
聡明な彼女。私が初めて友人として尊敬した人だったのです。
彼女が逝ってしまってから、私には親友と呼べる人は居なくなったと思っていました。
昨夜のことです。
今週末の予定は、昨日のうちに上京して久里浜に移った認知症の母に会い、19日には昭和女子大で開催されるシンポジウムに参加して、福岡に帰るというものでした。
ところが、18日(土)に依頼されていた研修を終えて帰宅し、羽田に向かう準備をするのですが、どう頑張っても久里浜に着くのが夜遅くなりそうです。
「二兎を追うものは一兎をも得ず」という言葉が聞こえ、シンポジウムか母の見舞いかの選択が必要と思いました。
どちらも大事なことで、仕事の続きも出かける支度の手も止まりがちで悩んでいたときに携帯メールの着信音がなりました。
「準備は進んでいますか?」
私が、迷っていること、迷っていること自体に罪悪感を感じながらも、シンポジウム参加の大切さを痛感していること、などを返信で伝えました。
随分迷ったのに、このFさんが「先のない人のことを優先にしなさい」とわざわざ電話をかけてきてくれて、はっとしました。
すぐに、母に会うだけに決めて、日帰りをすることにしました。
目先の仕事上の勉強も切実に大事なことなので、本当に昨日の午後は困っていたのです。
選択の目安を、Fさんからきっぱりと知らされて
「そうなの。誰かにはっきりそれでいいんだと言ってほしかったの」という自分の気持ちに気づきました。
涙が出ました。生活に追われたり、ちょっと欲が出たりしたときにどこに自分らしさがあるのかわからなくなるのですね。
このFさんのおかげで、不器用な私が自分が一番快いこと・・を選ぶことができました。
Fさんとは最近親しさを増してきた人なのですが、素晴らしい友人を得たなあ〜と、心から思いました。
私のような年になっても、まだまだ素晴らしい出会いがあります。
まして、真剣に言葉を交わしてくれる人と出会い、新しく友人関係になれるなどとは、とても幸せなことですね。
私も、相手のために真剣に考え、まごころで話ができる、そんな友人でいなければ・・と、親友逝去以来、久しぶりに思いました。
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